Revenge person


act.3 Finale

目を閉じたまま記憶を手繰り寄せていると、甘い匂いが薄い空気に混ざって鼻に届く。
砂糖が混ざったような甘ったるいものではなく、すんなりと受け入れられような匂い。

それに意識を持っていかれそうになる前に、何か柔らかいもので頭をトンと叩かれ、ゆっくりと目を開いた。
そのまま視線を上まで持って行くと、黒いスーツに身を纏った彼が手に鞄を持ったまま佇んでいた。
視線が合うと、呆れたような表情を浮かべて俺の前に座ってまじまじと顔を見つめてくる。


何だと言葉を口にする前に、彼が先に言葉を吐き出したので、喉まで出てきていたモノをそのまま身体の中まで押し込めた。


「何を考えていたんですか?」


「そんな大したことじゃねぇよ」


一瞬疑うような視線で目を見返されたが、そんなことにももう慣れてしまった俺は言葉を変えてもう一度言い返すと、
彼はそうですかと一言口にし、そのまま黙り込んだ。

あの一件から、「復讐屋」だと名乗った彼をずっと住まわせている。
あの後しばらく様子を見ていたのだが、俺の周りで何か特別なことが起こることもなく、今までと同じ平穏な日々が続いている。

そのことについて俺は何も口することなく生活を送っているし、彼もまた同じように何も口にはしない。
夕方になれば綺麗に整った、下ろしたてのようなスーツに身を包んで家を出て、
朝早くに戻ってくる頃にはスーツを所々汚し、時には使いモノにならない程に傷をつけていることもある。


だが、その間何をしているかなんて知ることもなければ、彼が何を目的にここに住み着いているのかも知らない。
あの頃から時は驚く程に進んでいるが、状況はなにひとつ変わってはいない。


最初の頃はもちろん、俺よりも若い彼がどこへ行って何をしているのか、なぜここに居続けようとするのかなど、溢れるくらい疑問はあった。
今でもその疑問は持ち続けたままだが、お互いのことに踏み込まないと言うのが当たり前なのだと、いつしか暗黙の了解と化していた。
と言うより、彼が自ら話をしようとしなければ、俺も深く入り込んではいけないのだと理解した。

それが彼なりの自分の守り方なのか、それとも俺と彼が違う人間であることを示す為なのか、
何が理由なのかは分からないが、ずっと一線を引いたまま。

別にそれを知らなければ生活していくことが出来ないと言う訳ではないので、聞かなかったと言うだけ。


しかし、よく見知らぬ他人をこんなにも長い期間住まわせているものだとは思う。
俺の身を守る代わりと言ってはなんだが、特に変わったことなく生活を送っているのだから、契約は不成立と言ってもおかしくはない。
本当に自分を狙っている奴がいるのかと言うことにも疑問は浮かぶし、彼に騙されているのかもしれないとも思う。

だが、たまに傷だらけになって戻ってくる彼を見ると、それが本当なのかもしれないし、嘘だったとしても放っておけなくなるのだ。
この時だけは、彼が何をしているのかがやけに気になって仕方がないし、彼が何かで覆っているものを剥がしてやろうとも思う。

それと同時に、俺の中でストッパーがかけられる。

絶対に踏み込んではならないものに踏み込もうとしているのを止めるように、だ。
それが不思議でたまらなったが、俺には何かを壊してまで入り込むことはできなかった。
彼の中で一線引いてある分、俺の中でも一線引いていたのかもしれない。


区切りのいいところまで記憶を辿り寄せた所で彼を見ると、座り混んで膝を抱えたまま下を向いているのが目に映った。
何を考えているのだろうと、その姿をじっと見つめていると、彼は顔を上げた。
俺と同じようにじっと、真っ直ぐに見つめてくる目に引き込まれてしまうのではないかと思って目を逸らすと、彼の声が耳に届いた。


「翔さん」

「……なんだ?」


彼の俺を呼ぶ声に、少し震えと寂しさのようなものが混ざっていたような気がするのは、聞き間違いだったのだろうか。
彼としっかり視線を合わせると、元々身体の小さい彼が、もっと小さいように思えた。
それを見ていると、今にも彼がどこかへ消えてしまうような妙な感覚に襲われて、
そのまま野放しにしてはいけないような、そんな気分に支配された。

俺が彼を包み込むようにして抱き抱えると、少し驚いた表情を浮かべたが、直ぐに笑顔を浮かべて大丈夫ですよと口にした。

まるで俺の心内を見透かしたような言い方は、やはり変わってはいない。
俺自身に少しも変化がなければ、彼自身もまた、なにも変わっていないのだと感じた瞬間だった。

しばらく彼を抱えたまま黙っていると、近くのテーブルに置きっぱなしにしていた携帯が鳴った。
それと同時に、また今日一日が始まったことを知らされて、俺は携帯を開けて音を止めた。
いつもとなんら変わらない朝が、今日はとてつもなく寂しく感じたのは、多分気の所為ではない。

先程見せた彼の表情が、俺の中で異様なくらい焼き付いていたままだったからなのかもしれない。


俺は彼から身体を離して、頭をそっと撫でた。

すると、彼は笑顔を向けて俺を送り出す言葉を口にする。
それに答えるように笑い返してみせると、俺の前から立ち上がって、彼の部屋として貸している方へ去っていった。
その後ろ姿は、先程とは違ってしっかりとした意志を表しているようで、ほっと胸を撫で下ろした自分がいた。


彼を見送った後、俺も支度を整えて部屋を出る。
今日もまた、俺がここへ戻ってくる頃には彼はいない。
俺は俺自身の生活を同じように過ごし、彼も同じように生活を送る筈だろうから。


彼はスーツを身に闇を共にし、俺は光を背に受け共にする。
俺と彼がお互いに一線を引いて踏み込もうとしないのは、双方の価値観と生き方の違いだからだと、今は納得しておく。

隔たりをなくし、距離を縮めるにはまだまだ日が浅過ぎるのだ。


あの日の契約がしっかりと実行される時まで、彼はあそこに居続ける。
彼のあんな表情をみたからには、
絶対だとは言い切れやしないけれど、確信の持てない自信を心のどこかに貼り付けて、俺は光の中を進んだ。


きっと、彼と俺がなにも変わることがない限り、この奇妙な生活はあり続けるのだと。
……あり続けて欲しいと言う自分の願いをも込めて、目を閉じた。


ふわりと吹いた風に、彼と似た甘く柔らかいものを感じたような気がした。



否、気がしたのではなく、はっきりとこの身体で感じた。



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少し長めで最初の2ページは昔の回想シーン的な感じに……。
終わり方も最初に予定していものとは少し違う感じになりました。
しかも最後の最後で主人公の名前が出てくるというかなり無意味な!青年は名前出てきませんしね。
本当はもっとほのぼーのとした感じになる予定だったんですけどねー予定は未定!←

2008.08.23 up...

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