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002///休日の予定たち

朝食を済ませた後も、朝の慌ただしさは全くと言っていい程変化はない。





朝食の時間を大幅に遅れて取らせてしまった所為か、勇哉はいつもより不機嫌な表情を浮かべて通勤の支度をしている。
その原因を作ってしまった俺が言うのもなんだが、急がないと電車の時間に間に合わなくなってしまうんじゃないかって程だ。
だからなのか、たまに視線が合うと物凄い笑顔で微笑まれる。それが物凄く恐ろしくて俺はもうなにも言えない。

勇哉が家を出て行くまでリビングには居まいと部屋を移る途中、開店準備を始めている昌里の姿が目に入る。
平日の営業は当たり前で、土日祝日も稼ぎ時だと言って営業。
それでよく体が保つものだと思うが、俺は手伝う気にはなれない。ウェイターならまだしも、俺に回ってくる仕事は食材の調達。
俺だってそんな暇な生活を送っている訳じゃないのに、休みの日まで手伝わされたらたまったもんじゃない。

覗いていた顔を引っ込めて、昌里に見つかってしまう前に部屋へと戻ることにした。
部屋に入る前に壱とすれ違ったが、彼は俺に目もくれず足早に階段を下りていく。

彼は昌里のような調理師(と言うか料理人?)になりたいと言って夜間の大学に通いながら店を手伝っている。
よくそんなにも一生懸命になれるものだと思うが、好きなことなら誰だってそうかと納得する。
きっと今日も昌里の店の手伝いでもするのだろうと暢気なことを考えながら部屋のドアを引くと、ドアを反対側から蹴り飛ばされて手を挟んだ。

「邪魔」

痛みを抑えながら何だと思い視線をやってみると、豪が俺を睨み付けている姿が目に入った。
さっきの続きだと言わんばかりにちょっかいを掛けようと手を伸ばすと、それをするりと上手い具合に交わして階段を降りて行ってしまった。

彼の今日の予定はなんだったかと思い返してみると、珍しく昌里の店の手伝いをすると言っていたのを思い出した。
それと確か、夜にもバイトを入れているとも言っていたような気がする。まだ高校生の癖に夜どこでバイトをやっているのかと考えてはみるが、やめた。
きっと年齢でも偽ってバーやそう言った喫茶店とかで働いているのだろうと想像がつく。まぁいいんだ、バレなければ。

ひとり納得して、蹴られて閉まってしまったドアをもう一度開け直して中に入る。

閉め切ったままの部屋からは、少し熱を帯びた生暖かい空気がドアを開けた衝動で俺の方へと流れてきた。
やけに身体に張り付いてくる空気はいいものではなく、部屋の中を一直線に進んで鍵の掛けられた窓に手をかけた。

部屋を仕切っている窓を開け放ち、朝土の匂いを混ぜた涼しい風がいい具合に這いこんできたのを確認すると、そのまま窓を開けたままソファに腰を下ろした。
空気が綺麗に循環しているようで、とてもいい気分で満たされていく。

一呼吸したあと、ソファの左側に立てかけているギターを手に取った。

弦に指を当てると、部屋の空気で調律がずれたのか、少し聞きがたい音が響いた。
最近このギターを触っていなかったことも悪かったのかもしれないと、音階が調うようにしっかりと調律し直した。

再び弦に指を当てると、今度はちゃんとした音色が部屋中に響き渡った。


無空間に少しずつ色がついていくような、そんな気がした。

「よしよし、いい感じ。……ありゃ、なんだこれ」

調律を終えたギターを元の場所へと戻すと、間に挟まれるようにしていくらか束ねられた紙があった。
休みの日に部屋の掃除は必ずやっているのだから、ゴミが落ちていることはないと思っていたので、疑問を浮かべながら紙を手に取った。

折りたたまれた紙を広げてみると、そこには間隔をあけて記号と休符が途中まで書かれていた。
目にした瞬間、これが何だったのかを思い出した。
いつだったかは忘れてしまったが、随分と前に書き起こした俺のオリジナル作品である譜面だ。

俺は数枚にまとめられた紙を一枚ずつ、ゆっくりと目で辿りながら、自分の作品に残した思いを読んでいった。
将来だとか進むべき道、自分がどうしたかったのかだとか、今では過ぎてしまった当時の悩みや迷いばかりが詰め込まれていた。

多分、俺がここに住むようになってしばらくした時に書き起こしたものだったと言うことを思い出して、苦笑いが零れた。
荒々しく書かれた汚い文字や黒く塗りつぶされたヶ所ばかりで、今の俺にとっては全てが恥ずかしいものばかりだ。
順調に読んでいくが、何故途中で書く事を止めてしまっているのかが気になり紙を捲る手を止める。

今は自分の中にない過去の自分を呼び起こすように記憶を辿っていく。
が、書き留めたのがいつのものか分からない為にか記憶の中で引っかかるものが見あたらなかった。
俺は唸るように口をへの字に歪めて、紙を正面に数分の間睨めっこを続ける。
しかし紙の上に残された文字や記号からは何も見えてくることはなく、最終的に諦めて溜め息を吐き出した。

巻き戻すように最初から口ずさむ音が一定のところで断ち切られる。
まるで、当時の俺自身が何かに終止符を打ってしまったような、そんな感覚だ。
そう、書き綴られた思いを全て断ち切ってしまったような、もしくは諦めてしまったかのような、そんな感じだ。
もしかしたら、書き綴ってしまったら本当にそうなってしまうかもしれないと、途中で止めてしまったのかもしれない。
俺自身や俺を取り巻く環境全てを自分から切り離してしまおうと考えたのかもしれない。

「って、俺は何考えてんだか。昔は昔なんだし、何考えてたのか忘れちまったーって、なぁ?」

「……俺に分かる訳ないやろ。ひとりで何やっとるん、気持ち悪い」

「気持ち悪いって、侵害だなぁ。……いつから居たのよ、いっちゃん」


紙を両手で握り締めながら首だけを入り口に向けた。
ドアの壁に手を掛けている壱の表情が、眼鏡のレンズと言う一枚の薄い隔たりを通して俺に刺さる。

壱はズレてしまった眼鏡の頭を左手の中指でくいっと押し上げてから俺を見て何か指した。
何、と彼に問うてみると、面倒だとでも言った表情を作って俺の元へと歩み寄り、手の内にある数枚の紙を取り上げてしまった。
口が言葉を発する前に手で彼の動きを追うが、それを素早くかわして紙の上に残された文字と記号を目で追っていった。

自分の過去をおおっぴらに広げ見られてしまったようで、俺は耐え切れずに掌で目を覆った。


その間にも、彼の口からたまに零れる、紙に残された言葉が耳を通して中へと入りこんでくる。
覆った手の隙間から紙に目を落としている壱の横顔を盗み見ると、口端が薄く上がっているのが分かる。
口元から視線を動かして表情を伺ってみると、しっかり壱と目があってしまった。

勢いよく目をそらすと、今度はクスクスと笑い声が聞こえてくる。
俺は顔に貼り付けていた掌を退けて、下げた顔にかかったままの髪の隙間から彼の顔を捉えた。


「お前ねぇ……勝手に人様から物を掻っ攫っといて、笑うってどーんだけ失礼なの」

「そんなこと言うたってな、これを亨ちゃんが書いたって思ったらおかしくてたまらんねんもん」

紙を持っているのとは反対の手で口元を抑えて引き続きクスクスと笑い声を立てる。
思っていた以上に長時間笑い声を立てられた所為か、恥ずかしいと言うよりも呆れの感情が沸いてくる。
俺の表情が変化したことに気がついたのか、壱は笑い声をあげるのを止めた。
そして今度は俺の顔を見た後、何かを考え込むようにして唸り声を上げた。

笑い声を立てていたかと思えば真剣な顔をして何かを考え込む姿に、俺はこっそりと溜め息を零した。


「あのさ、いっちゃんは一体何のために俺の部屋に来たのさ?」

「亨ちゃんが変なもん見せるから忘れてもた。今思いだしよるところやからちょっと待ってーな」

「変なもん見せるって……勝手に見たのはそっちでしょーが」

「あーもう、うるさいなー。思い出せんくなるやろ」


ポコンと俺の頭上で音が鳴った。
不意に食らった痛みを手で擦って治めながら、俺は肩を落とした。
この男は自由奔放と言うか、自分勝手だと言うか、何だかよく分からない。
ひとまず、俺の過去作品をあらゆるところで晒されないように、こっそりと彼の手の内から取り上げておく。

取り敢えず、壱が何の用で俺の部屋に来たのかが分かるまで、俺は今取り上げた過去の作品に再び目を落とすことにした。

先ほども同じものを何度も繰り返し最後まで読んではみたが、改めて見直した今も内容はさっぱりだ。
何を思ってこれを書いたのかは、過去も現在もここにある本体をもってしても結局何を表したものなのか分からない。
と言うことは、ほんの一瞬に沸いて消えてしまった感情なのかもしれないが、紙を見る限りではそうでもない気がする。
だからと言って紙を丸めこんでゴミ箱に捨てていいような、簡単なものでもない気がする。
結局のところ今分かっていることは、人様に晒してしまえば恥をかくということくらいだ。

俺がひとり、壱とは違ったことで悩んでいると、彼は隣で小さく言葉を漏らした。
何事かと顔を上げて彼を見てみると、少し苦笑いを含んだ表情を浮かべていた。

「あんな亨ちゃん、用事は思い出したんやけど……」

彼の言葉に合わせるように、俺の部屋へ向かってくる足音がひとつ。
しかも何だ、物凄く怒りを含めているような音に聞こえてくるのだが、これは俺の気のせいなのだろうか。

バンと激しい擬音を貼り付けるように部屋の壁が叩かれて、俺のよく知っている男が顔を覗かせた。
その表情を視界に入れると、なぜ壱が俺の部屋にきたのか、なんとなく理由が分かった気がした。
横で壱が小さく謝罪の言葉を口にするのと同時に、部屋の入り口で顔を覗かせていた彼が俺の前へと近づいてきた。
勿論、彼の標的は俺な訳で、その隙を狙ってと壱はそそくさと部屋を後にしてしまった。
なんとも白状な男だと、二度目の溜め息を零した。

彼は高い位置から俺を見下ろしてから、部屋の入り口を振り返って溜め息を吐いた。
直ぐ様怒りの言葉が降ってくるのかと思っていた俺は、少し拍子抜けしてしまった。


「あれ、そんな怖い顔してるくせに怒らないの? 昌里」

「……怒るつもりだったけど、アイツの様子見て理由が分かったからな」

「あはは、そうなんだ?」

「止めようかと思ったけど、お前のその顔見てるとなんかムカついてきた」

伸ばされた昌里の手が俺の両頬へと伸びて、横へと引っ張られる。
痛いと声をあげるには優しすぎる痛みがじりじりと沸いてくるが、少しするとそれも引いた。
小さく唸りながら両頬をさすって昌里を見ると、片手で顔を覆ってまた溜め息を吐き出している。
俺がそれを見て小さく笑い声を上げると、眉間に皺を寄せてムッとした表情を作り出した。
だがそれも直ぐにおさまって、昌里は自分のYシャツの胸ポケットに手を入れて紙切れを取り出した。
紙を開いて中にある文字を確認すると、それを俺の手に握らせる。

「えーっと、これは何? 野菜やら調味料やら色々書かれてあるけど」

「見たら分かんだろ。それ、買って来い」

「えぇー。あのさぁ……もしかして、昌里の用事って買出しのことだったわけ?」

「休日に、しかもこの時間帯にだ、俺がお前を呼ぶ理由に買出し以外有り得ないだろーが」

「おぉーい、ちょっと待って。何、俺って昌里の使いっ走り?」

「それ以外に何があるってんだよ、馬鹿」

瞬間、昌里の鋭い手刀が頭上に降ってくる。
朝から二度も頭に衝撃を受け、俺はまたまた肩をを落として溜め息を吐いた。
その間にも昌里は俺の前がら姿を消していて、部屋の入り口から階段を下りる音だけが聞こえてきた。

右手には昌里から渡された買出しの紙、左手には壱から奪い取った過去の思いを書き込んだ紙。
手に収められた大きさの違う紙を交互に見ながら、やはり俺は溜め息を零すしかない。
折角今から、過去に書いた物の真相でも解き明かしてやろうと思っていたのに、有無を言わざず俺の予定は決定してしまった。


右手に握らされた紙は財布と共にズボンのポケットに押し込めて、左手にある紙は元あった場所に隠し直した。
今度はいつひっぱり出されるか分からない紙を見て苦笑いを浮かべたあと、部屋から駆け出した。

 

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