目の前に広がるのは騒ぎ立てる声と、空になった弁当箱。
始まりは、本当に些細なことだった。
学校から帰ってきた豪と椎太が、最近学校の桜が芽を出したと亨快に報告をした。
それを聞いた亨快が壱に向かって「そういやぁいっちゃんさ、前に桜の木の下で昼寝してたよねぇ」なんて言った。
苦笑いを浮かべながら、壱は勇哉に向かって「去年は慌ただしくてお花見できんかったよなぁ」と言って話題を逸らした。
それに頷いた勇哉は俺を見ながら「明日、店閉めて久しぶりに皆で出かけようか」と満面の笑みを浮かべた。
今の話の流れでどう花見へと繋がっていったのか理解し難いところだが、勇哉が言い出した時点で俺に拒否権はない。
こいつは一度言い出したら自分の意見を曲げないところがある。
それだけならなんとか丸め込むことができるのだろうが、俺が返事に困っているうちに他の四人の間では話が膨らみすぎていた。
何が食べたいだの、どこに行きたいだの、何をしたいだの、ここまで話が進んでしまっていては今更無理だとも言えない。
俺は眉間に手を押し込んでから小さく溜め息を吐き出して、分かったと口に出して頷いたのだ。
「うっわー、これ凄いよ! 見たことないくらい桜が満開になってる!」
「ほ〜んと、こりゃ凄い。こんなに桜が咲いてるの見たの久しぶりかもねぇ」
車から真っ先に飛び出した椎太が桜がある方へ駆け寄っていき、幹をペタペタと触りながら歓喜の声を上げた。
それに続いて車を出た亨快が 辺りを見回しながら関心しながら頷いている。
しかし、楽しそうに桜の鑑賞を進めている二人とは反面、豪は車内で寝転びながら欠伸をしている。
その隣に腰をかけている壱は外の二人を見ながら何か物思いに耽(ふけ)っているようだ。
あんなにも盛り上がりながら計画を立てていた花見も、いざ当日になってみると普段の生活と代わりない様子だ。
だが、折角店を閉めて遠出してきたのだから花見の雰囲気だけでも味わっておかなければ勿体ない。
俺はエンジンを切って車の鍵を引き抜いた。
そこで気がついたのだが、勇哉の存在を確認することをすっかり忘れていた。
車内の一番奥に座っていたことを思い出して、シートベルトを端に寄せてから後ろを覗いてみる。
「……勇哉」
「んー、なーに?」
「お前、何勝手に弁当開けてつまみ食いしてんだ。それは昼飯だろーが!」
「そんなこと言ったって、お腹すいちゃったし。ほら、腹が減っては戦は出来ぬって言うじゃない」
悪びれた様子もなく重箱をあさり続ける勇哉に、もはや俺は何も言えず肩を落とした。
その間にも彼は、黙々と箸をはしらせて口を上下に動かしている。
このまま放っておくと、早朝から時間をかけて作り上げた昼飯が全て食い尽くされてしまうのではないだろうか。
俺は、幸福だと言わんばかりの笑みを浮かべて弁当の一部を平らげてしまった勇哉の服を掴んだ。
そしてこれ以上弁当を空にさせないようにと、彼の手の内に納まっている箱を取り上げた。
相変わらず口を上下に動かしている勇哉は無言で俺を見つめてくるが、無視を決めこむ。
まだ口の中に食べ物が残っている内に、彼を車内から追いやるように引きずりだした。
そうでもしなければ、何か理由を付けてでも弁当を取り返そうとするに違いない。
「亨快に椎太、ちょっとこっちに戻ってこい」
遠くて戯れているふたりに向かって声を張り上げると、直ぐにコチラへと駆け寄ってくる。
多分あのふたりにも、何が起こっているのかが理解できたのだろう。
そうでなければ、桜を見て騒いでいるふたりが俺の声に反応して素直に戻ってくる筈がない。
言っておくが、別に俺に威厳がないというこではない。……多分、だが。
「はっいはーい。大声出してどしたの?」
「コイツも一緒に連れてけ。そんで向こうの方で桜でも見とけ」
「仕方ないなー。勇ちゃんのことだから、まーたつまみ食いでもしたんでしょー?」
亨快はへらりと笑って勇哉を見る。
その隣では「また?」と椎太が苦笑いを浮かべている。
俺は返事をする代わりに勇哉をふたりに引き渡して、犬を払いのけるように手を動かす。
それを見た亨快と椎太は互いの顔を合わせて頷きながら笑った。
亨快に腕をしっかり握られている勇哉は、隠れるようにして舌打ちをしたが、それ以上の行動は起こさなかった。
彼自身も、亨快の腕を振りほどいて逃げてまで弁当を奪うのは面倒だと感じたのだろう。
改めて俺が目の前の三人を見直すと、急かしていることを理解したのか、早々に桜の木がある方へと歩いていった。
辺りは嵐が去った後のように、一気に静けさを増した。
取り上げた弁当箱の中を覗きこみながら、小さく溜め息を吐き出す。
短時間でよく平らげたと褒めてしまうほど、残された中身は淋しいものだった。
ただ、勇哉の胃の中に入ってしまった分量が普段よりも少なかったことが唯一の救いだった。
そして、こうなることは最初から分かっているのだからと、弁当の数も多くしてきてよかったと安堵する。
もし、全員で食べるために用意した重箱が普段と変わらない量だったとしたら、だ。
昼食を迎えた時に弁当の争奪戦は始まるわ、腹が減ったと喚き出すわで、ややこしいことになっていただろう。
最終的には、勇哉の所為で空になってしまった弁当への恨みつらみが何故か俺へと向けられることになる。
いつぞやに起こった騒動を思い返してみると、来たばかりだというのにどっと疲れが押し寄せてきた。
この厄介な男共がいると、モーニングからディナーまで料理を用意して店を開くことよりも、体力の消耗が早くなるのだ。
今回は厄介事にならずに済みそうだと思うと、少し気が楽になった。
とりあえず、このまま弁当を開いたままにしているのは危険だと、一旦車内に戻る。
中では変わらず、豪は寝そべったまま目を閉じている。
一方壱は外の景色に飽きてしまったのか、いつの間に連れ込んだのか分からない黒猫とじゃれ合っている。
亨快たちのような騒がしい奴らも困るが、これはこれでどうなのかと思ってしまう。
猫とじゃれ合っている壱はまだいいとしてだ。問題なのは、ここまで来ても普段と変わらず寝そべっている豪だ。
本当に青春謳歌中の高校生なのかとさえ疑ってしまう。
それを口にすると「お前ぇが人の事言える立場か、クソ爺ぃが」なんて悪態を返されるだろうから、今更口にするつもりはないのだが。
しかしだ、もう少し子供らしい仕草を見せればいいのにとは思う。
年齢の近い椎太と比べてみると、どれだけ彼が大人びているのかが分かる。
俺達の間で暗黙の了解とされている為、互いのプライベートに触れることはしないが、一般的に見て判断しても彼は大人びている。
だからと言って、完璧に大人の中に混ざりこめているのかと言われればそうでもないのだ。
どちらにも区別できないような微妙な狭間で、どちらに加わることもできないまま揺れ動いているような気がしてならない。
片付けることを忘れそうになっていた重箱の一部を元の場所へ戻しながら、豪の顔を覗き見る。
静かに目を瞑っている姿には、やはりまだあどけなさが残っている。
重箱へ戻した目を閉じてから俺は小さく息を吐き出した。
そして何かを確認するようにもう一度豪の顔を見ると、苦笑いが零れた。
多分これは、彼がまだ子供であることを示すために出たものだ。
「それはさ、豪くん自身が一番よく分かっとることで、一番考えとることやと思うで」
俺の視界に突如現れた壱が、豪を見たあとに俺を見て苦笑いする。
行き成り掛けられた言葉に思考が追いついかなくなりそうになるが、瞬時に何のことを言っているのかを理解した。
先ほどまで猫と戯れていたかと思うと、急に相手の考えを見透かした物言いをする壱。
だが、それも何度となく繰り返されるうちに慣れてしまったのか、直ぐに「あぁ」とだけ返事をした。
すると、壱は肩をすくめてから「そーゆうとこ、豪くんにそっくり」と言って笑った。
どこがそっくりなんだと言い掛けたが、その言葉を喉の奥へと押し込めておいた。
ただ俺がそう思っているだけで、もしかしたら本当に似ているのかもしれないと感じたからだ。
ぼんやりと物事を見ているように見えて、実はしっかりと相手を見ている壱が言うのだから、認めざるを得ないのかもしれない。
それを言えば豪が物凄く嫌な顔をして、俺のことを蹴り飛ばそうとするのだろうが。
「なぁなぁ、折角店閉めてまで来たのに、昌里は桜観に行かんの?」
「そうだな……弁当を盗み食いする奴はここに居ねぇし、気分転換にでもちょっくら見てくるか」
重箱を綺麗に包み直してから、壱の前を抜けて外に出る。
さっきは弁当がどうのこうの言いながらだった所為か気付かなかったが、辺りはかなり多くの桜で埋め尽くされていた。
遠目から桜に目を移していくと、ところどころで数組の家族連れがビニールシートを広げているのが確認できた。
それを見ているととても微笑ましく感じるのだが、同じように視界に映る騒がしいアイツ等を見ると、なんとも言えなくなる。
一度は辺りにいる家族連れに笑われているのではないかと思うと、野放しにしておいたことを少し後悔した。
「あれ、かなり目立っとるみたいやからついでに止めてきてな」
恐らく、俺の視界に映るものと同じものを指しているのだろう。
俺が壱の方を見て苦笑いを零しながら頷くと、膝の上に乗せてる猫の手を持ち上げて左右に振った。
ひとまず、あの五月蠅い連中を宥めてから、豪を起こすことにしようと決める。
もしかすると、その役割は壱が引き受けてくれる可能性もあるのだが、一応俺のすべきことリストに加えておく。
車から離れるように足を進めながら、ポケットに押し込んでいた煙草を取り出して火を付ける。
淡く香る桜の匂いに、混ざるようにして漂い始める煙草の香りは場違いだなと、そんなことを思いながら。