海に見る10のお題

誰のためでもない子守唄

窓を開けると、身体の間をすり抜けていく風と共に、透き通るような歌声が耳を抜けた。
僕は窓を閉めて中途半端に流れているカーテンを開け放ったあと、ドアをすり抜けて外へ出る。
早朝の独特な空気を身体の中に通してから、いつも通いつめている場所へと足を向ける。
朝日に照らされる全てが輝いて見えるような気がした。

僕はまばらに遮られている柵を越えて目的地へと足を早める。
するといつもの場所に彼女はいた。
僕の姿に気付くと歌い声は消え、手を振りながら笑顔を向ける。
その姿を見るとなぜだか嬉しく感じるのだが、その半面、それだけの行為の為に歌声を消し去ってしまうのは悲しいような気もした。

僕が彼女の隣に腰を降ろすと、彼女はゆっくりと瞳を閉じて静かに口を開く。
次の瞬間には彼女の口からは透き通るような歌声が流れだし、どこまでも進んでいく。
一点に留まることも、消えてしまうこともない。
ただ、どこかに触れてしまうまで延々と流れ続けるのだ。

彼女から紡ぎ出されるものはとても美しく素晴らしい。
耳にした誰もが、必ず振り返り目で追っていく。
それほどにも完璧なものをこの場所で感じることができる僕は特別なのかもしれない。

しかし、それは誰かのためにと奏でられているのではない。
彼女の周りにいる人全てに与えられるものなのだ。


近くで感じる権利を手に入れても、彼女の透き通るような歌声は僕が手に入れられる程安いものではないのだ。
彼女自身が望まない限り、それは一生変わることはないのだろう。

2008.08.01. up.